堤直美氏インタビュー
敬老思想普及の為

昭和五十六年五月、その日は抜けるような五月晴れの空でした。
空を見上げる私の目に豆粒の様な一点が見る見る近づいて来て、やがて空をおおいつくすかの様に広がって静かに曽我山の現在地にお立ちになりました。
天から降臨されたのです。
その瞬間、下で待ち受けていた人々がいっせいに歓声をあげ、しばらく感激の拍手は鳴り止みませんでした。
私は1年間の制作の緊張から解き放たれ、全身の力がぬけて呆然と虚空を見つめていた事を思い出します。

観音像
観音像
未経験の大きさへの挑戦

敬老思想普及の考えに賛同して制作に取りかかりましたが、この様に大きな像は未経験です。
まずは、五分の一の原型を作り、拡大する方法を取りましたが、一体ではどうしても無理で、二体に分けて制作しました。お顔は出来るだけ純粋な赤ちゃんの顔にしました。
敬老観音ですから敬老する側で赤ちゃんに代表してもらった訳です。
お姿は法隆寺の救世観音を参考に致しました。
当初、観音様は宝珠を持っておりましたが、『平和の礎』ですから地球にして平和を願う事にもしました。

空を飛ん敬老観音
ヘリコプターで運ばれる観音様

製作中にはいろいろな困難がありましたが、観音様が変化して現れたとしか考えられないような方々の出現で問題が解決してゆき、生かされている自分にも気がつきました。
一つだけ書いておきますが、像が完成していざ現地に取り付けの段になってから、現地まで道が細くレッカー車も入れないことがわかりました。
途方に暮れてレストランで食事をしていると、偶然私の後ろの席に座っていたヘリコプターのパイロットの方が、話を聞いて声を掛けてきたのです。この方が紹介してくださった方が実際に敬老観音をヘリコプターでつり下げて設置してくださいました。
彫刻制作の作業の工程でも初めてお顔が現れる瞬間、突然アトリエの高窓から一条の光が観音様のお顔を照らした事・・・等々いろいろな事がありました。
私自身も敬老観音様建立の年から二年連続の日彫賞、日展連続特選とよい事ばかり続いて四十才の若さで日展の審査員にもなりました。
現在は日展の評議員となり、作品の制作を行いながら若者の育成にも力を入れております。

建立以来、正月の元旦には早朝必ず初詣に出掛けます。
相模湾から上る初日の出は清々として一年の始まりにふさわしいページェントを繰り広げます。観音様は私の生活には無くてなならない存在になっております。


製作中の堤直美氏

堤直美氏メッセージ