2018年 10月の法話

『方便』

 法華経の特徴は、たとえ話がたくさん出てくるということです。どれくらいかというと、全28巻ある法華経のうちの11巻にもたとえ話が出てくるほどです。
 今日は、その内の一つ法華経の最初に出てくる長者窮子の譬え(ちょうじゃぐうじのたとえ)をご紹介しましょう。

 ある父親が、幼い頃にはぐれた息子を捜す為あちこちさすらいました。ですが見つけることができず、捜すのを諦め変わりに商売を始めました。するとその商売が非常に軌道に乗り、裕福になっていきました。しかし父親は、こんなに財産が豊かになっても、自分が死んだ後この財産をどうしようかと心配だった為、息子が見つからないかと50年も念じていました。すると念が届いたのか、今では貧しいフリーターになっていた息子が父の家とは知らずに仕事を求めにやってきました。しかし、とても立派な家だったため、自分には不釣り合いだと思い引き返してしまいました。
それを見ていた父は一目で息子だと気が付き、係りの者にあの者を連れてくるように命じました。ですが息子は、追いかけられ捕まったら何をされるか分からないと恐怖のあまり気絶してしまいました。気絶している息子に水をかけて目を覚まさせても、息子は恐怖のあまり謝るだけでした。それを見た父は、もう自由にしてやりなさいと手放してしまいました。

その後父は係りの者にみすぼらしい身なりをさせ、息子に家で雇うから仕事に誘って来るように命じました。こうしてようやく息子は仕事を引き受けるようになり、まず父は息子にトイレ掃除を与えました。
父もみすぼらしい身なりをしてトイレ掃除の道具を持って息子に近づき、仕事ぶりを褒め、もっと頑張ったらいい仕事やいい給料になるように頼んでやると言い、息子は少しずついい仕事につくようになりました。
最終的に息子に財産の管理を任せました。その後父は、王様や大臣などを集め、「ここにいる男は私の実の息子です。私のものは全て息子に授けます。」と発表し、息子はとても喜びました。
 というたとえ話があります。この話が言いたいことは、いきなり貧しい息子に自分が父だと言っても信じてもらえないので、いろいろな方法で本人に生きる自信をつけさせるようにしたという事です。これを仏教では方便と言います。
 この方便が本来は何を意味しているかというと、我々の一般常識ではお釈迦様は4月8日にお生まれになり、12月8日に亡くなりました。ところが実はお釈迦様がこの世に生まれてこられたのはお釈迦様の方便だったのです。なぜならお釈迦様は悟りを開くずっと前から仏様だったのです。けれど、我々人間は目の前に出てきてくれないと理解しにくいので、その為にお釈迦様はわざわざ人間の姿に生まれ、修行をし、悟りを開かれ、仏様になりました。それを人々に見せて仏様は実在するのだと分からせました。これが仏様の方便です。
次回もたとえ話についてお話ししたいと思います。

以上で10月の月例祭の法要を終わりにさせていただきます。