2016年 10月の法話

『宗教間の壁をなくし、世界平和を祈る』

先月の大祭の時にバチカンに行った話をしましたが、大祭という事もあり少し堅い内容をお話ししました。
ですので今回はもう少し柔らかいお話をさせて頂きたいと思います。

私の檀家さんの親戚の方が立正佼成会の新聞を持ってきてくれたのですが、見てびっくりしました。なんとその新聞に私が写っていたんですね。右にはローマ教皇。左には立正佼成会の会長が一緒に写っています。この写真はローマ教皇が主立った人を修道院の食堂でのランチに招待してくださった時に撮ったものですが、ランチには約200人が招待され、ローマ教皇はその1人1人と握手してくださいました。
日本の関係者はうしろの方で待っていたのですが、その中には各宗派、佼成会の会長さんがおり、ローマ教皇が来るまで賑やかに歓談をしていました。
その後、食堂に移りランチをしたのですが、その時にちょっとした事がありました。
私がお連れした比叡山の天台座主猊下は91歳なのですが、これまでナイフとフォークを使った事がありません。それなのに、お付きの方がお箸を持ってくるのを忘れてしまったんですね。
ですが、猊下はローマ教皇と同じテーブルに座っていたので食べないわけにはいきません。結局「フォークだけを使って丸呑みした」と言っておられました。
そんな事もあり猊下は「日本に帰ったらナイフとフォークを使う練習をする。」と言っておられましたが、そんな様子を見て私もほほえましく感じられました。

先月の大祭でもお話しましたように、今年は平和の祈り30周年で、イタリアのアッシジという町でサミットが行われました。このアッシジという町は日本で言うと奈良の都みたいな所で、ローマカトリックの一番の聖地とされている場所です。そんなアッシジで宗教者平和の祈りの30年目のお祈りをしたのですが、そこには色々な人が集まっており、非常に賑やかでした。
現在、平和の祈りを運営しているのはカトリックの信者団体です。日本の比叡山でも各宗派の壁をなくし、宗教者で集まり東洋の平和の祈りをしようとヨーロッパから1年遅れで始めたので、日本は来年で30周年になります。
今回は、平和の祈りの前にローマ教皇に会うためバチカン宮殿に行ったわけですが、我々は猊下を筆頭に14人で行ってきました。
先月の大祭でもお話したのですが、バチカンという建物はとにかくすごいです。
日本ではお客様が玄関に見えると、玄関から廊下を通って客間に案内するのが普通の流れですよね。ところがバチカンは廊下がなく、部屋と部屋が繋がっているのです。ですから部屋を7つ8つ通り過ぎていかないとローマ教皇の部屋に行けません。
その部屋1つ1つに絵画とかステンドグラスとか彫刻などがあり、どれもとても素晴らしい物です。
1部屋通るたびに「あぁすごい!」と圧倒されっぱなしでした。そんな圧倒される部屋をいくつも通ってからローマ教皇の部屋に着くので、その頃には圧倒されすぎて精神的に疲れてしまいました。

私なりにキリスト教と日本の仏教とどう違うのかを考えてみたのですが、日本の仏教は余計な部分は切り取ってシンプルにしているイメージがあります。これに対しキリスト教は賑やかにどんどん付け加えていくイメージかなと思いました。
これはなぜかと考えたときに、聖書は読んだり聞いたりして内容が分かるという印象があります。
しかしお経というのは何を言っているのかが分からないので、聖書のようにはいきません。
私も、「仏教も聖書みたいに聞いて分かるようにしなきゃいけない」と言われることもありますが、これはよく考えてみますと、キリスト教は眼に訴える力が強く、日本の仏教は座禅をはじめ、般若心経に出てくるように眼耳鼻舌身意(心)(げんにびぜつしんい)の六感をいかに働かせるかを言っているのではないかなと思います。
我々は眼でお経の方を見て、それから正面に本尊様がおり眼で見ます。耳は自分の声、周りの声が聞こえる。鼻ではお香の香りに包まれ清められます。舌はお経を読む。身はお経を読むときに身体を正しくして読む形になる。意(心)は眼耳鼻舌身の5つがバランスよく整ったところで、意(心)が仏様に集中できるという風になっております。
ですから、キリスト教、仏教どちらが正しく優れているという問題ではなく、目の付けどころが違うものだと感じております。
今回のバチカンへの訪問を通して、我々はやはり日本人ですから、日本のやり方が性に合うのではないかなとしみじみ感じて帰ってまいりました。

ローマ教皇にお会いしたときに天台座主猊下から、「来年日本の比叡山にも是非おいで願いたい」とお願いしたところ、ローマ教皇から、「日本の天皇からも言われているのでなんとかして来年日本に行きたい」と言っておられました。
もしかしたら、来年日本に来られるかもしれませんね。

以上で10月の月例祭の法要を終わりにさせていただきます。