2016年 3月の法話

『恵心僧都の功績』

今日はお彼岸最後の日。走りの日でございます。
お彼岸の彼岸とは仏様の言う悟りの世界のことを言います。般若心経の波羅蜜多でございます。お彼岸は皆さんお墓参りをされます。お墓参りをされるときにお唱えする言葉で一番多いのが「南無阿弥陀仏」だと思います。この「南無阿弥陀仏」を広めたのは比叡山の恵心僧都(えしんそうず)という方です。平安時代、今から約1,000年前、往生要集という本を残されました。恵心僧都は奈良県の生まれです。そして10歳で比叡山に小僧で入って修行されました。非常に優秀な子で、14歳の時に優秀ということで天皇からご褒美を頂いたそうです。恵心僧都はお母さんに褒めてもらいたくて手紙を書き、頂いたご褒美を一緒に送ったそうです。しかし、お母さんからの返事には「私は、あなたを偉い坊さんにするために比叡山に行かせたわけではない。天皇からご褒美をもらったくらいでうかれるような坊さんに私はなってほしくなかった。」と書いてあったそうです。恵心僧都は母の気持ちを理解し、それからは名誉栄達を求めず、比叡山の中でひたすら修行と学問をされたようです。僧都というのは坊さんの位を言います。上が僧正、真ん中が僧都、下が律師です。恵心は真ん中の僧都のまま一生を終えました。だけども、恵心の功績は一番上の位の僧正と変わらないものを残されました。その功績の中に、仏教史上大きな出来事があります。
奈良から平安時代に変わる時、日本の仏教も変わりました。その時に新しい仏教と奈良の仏教で論争がありました。草や木であっても生き物であるかぎり仏になれるという新しい仏教の考えに対し、奈良の仏教は、草や木は修行ができないのだから仏になる力はないという考えである事から起きた論争でした。
なかなか決着しなかったのですが、恵心僧都が決着させました。恵心僧都は教典を調べ、人間は来世どんな生き物に生まれ変わるか分からない。草や木だって何に生まれ変わるか分からないのだから、生きているもの全てが仏になる素質を持って生まれている。ということを解き明かし、論争を決着させたのです。
今はこのような論争はおきません。なぜなら、昔は六道輪廻と言って、亡くなった後、次の世界に生まれ変わるという考えだったからです。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つの世界を永遠に生まれ変わっていき、なかなか解脱することはできないというのが平安時代までの一般的な考え方でしたが、平安時代以降は、必ず六道から離脱して成仏できるという考えに変わっていきました。成仏できるのは修行するからできるのではなく、皆等しく成仏できるという考えでできたのが阿弥陀信仰です。それにより阿弥陀様にすがれば必ず極楽往生でき、仏になれるという考えが日本の仏教の中心になったので、今は誰でも仏になれるというのが当たり前になっています。
この様な事で、恵心僧都は我々に大変な功績を残してくださいました。
恵心僧都は、自分の出世は求めず、お坊さんとしても中くらいの位で一生を終えました。
恵心僧都が亡くなられてから一千年のご遠忌が今年の6月10日にあります。お念仏の関係の浄土宗、浄土真宗、他の念仏の方々も比叡山に登ってご供養することになっております。
今日はお彼岸の走り口、そしてお彼岸のお墓参りでよく口にする「南無阿弥陀仏」のおおもとは恵心僧都。その「南無阿弥陀仏」は誰でも仏になれるということを教えてくれているということをお話しさせていただきました。
以上で3月の法要とさせて頂きます。