2016年 初詣の法話

「心で観る」

皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年は温暖なお正月で、このまま温かい冬でいてくれるのかなと思っていましたが、急に冷え込んで来て九州では10年に1度の寒波が来るようです。

本日は観音様の初詣ということで、皆様にお参りしていただき元気なお顔と声が聞こえて観音様も喜んでおられると思います。

元日に読むお経というものがあるのですが、世の中の平和と皆様の安心と無事、そして仏様の教えが盛んになることを願うお経になります。
この事を修正会(しゅしょうえ)といいます。修正会とは、例えば、奈良の東大寺のお水取りというものがあります。これは正月ではなく2月にやるので修二会(しゅにえ)と言うのですが、修正会と同じ意味です。お水取りでは法要するお坊さんは当日に至るまでの間非常に厳しい修行をされてから法要に入っていきます。どのような修行をするかというと、キリスト教で言うと懺悔(ざんげ)、仏教で言うと懺悔(さんげ)をします。懺悔の行というのは特別なやり方はなく、ひたすら自分の行いを反省することによって自分の気持ちを清らかに持っていくという事をします。
今日、いつもの月例祭と違うお経を読ませていただきましたのは、懺悔が関係するお経を一ヶ所だけ入れさせていただいたからです。それは我々の眼を懺悔するというお経です。般若心経の中にも眼耳鼻舌身の五感と第六感の意識を加えた六根というものがありますが、我々は自分の眼だけでは全てのものは見えていません。例えば、手の甲を見ると手の平は見えていないのと同じで、物事も自分の見方でしか見ていないと本当の姿、意味が分からなくなってしまいます。ですから我々は、自分の眼で判断をするということにあまり力をおいてはいけないということになります。普段我々は六根をフルに使っています。例えば、人が何を言おうとしているか聞こうと集中する、どこになにがあるか思い出そうとする、転ばないように気をつけるといったようなことにも六根を使っているのです。ですが、それだけでは見えていないところもあるので心の眼も使って見ていきましょう。例えば、人と話をするときに顔をみて話す。すると目の動き、表情、口の動きなどを敏感に感じ取れます。この人は自分にいい印象を持っていないとか、私に好意を持っているとかいろいろな事を感じ取ることができます。それを心で感じ見ていけばこの世の中全てが清らかになっていきますよ。

今日は初詣ということで観音様に元気に挨拶ができました。
今年1年悪い事はせず、良い事を行うので観音様どうぞ見守りくださいというお願いをさせていただきました。そして、今年1年皆様が元気に観音様にお参りできるよう念じ申し上げまして初詣の法要とさせていただきます。