2015年 6月の法話

『「法華経」の魅力』

皆様今日はありがとうございました。立派にお経をお唱えする事が出来ました。私事なのですがついこの間ニューヨークに行って参りました。天台宗のニューヨーク別院というのが出来て10周年という事でその記念法要に参加する事が目的でした。
ニューヨークというとマンハッタンの大都会をイメージされるでしょうが、我々が行ったニューヨーク別院はマンハッタンから高速道路で4時間くらい走ったところにあり、まわりは森、林だらけで民家のないような大自然の中にありました。
そこのご住職のポールネイモンさんという方が、自分はわざと比叡山のような山奥を探したのだと言っていました。そこでは法華経の勉強をよくしておられるそうです。通訳の方を介してご住職と話をしたら、皆様お経について造詣が深いようで、やはり10年もやっていると段々と根づいてくるものだなという気が致しました。こちらは本来法華経の勉強会なのですが、アメリカの方々もこのお護摩に興味があるらしく、お護摩を随分希望するようになってきたとご住職から聞きました。アメリカの方からすると、お護摩はどちらかというとマジェスティックな感じがするのでしょうが、お護摩は自分と本尊様と一体になってそして人々の願いを叶えるというのが本来のあり方でございます。従いまして、そういう基本的な考え方をアメリカの方が理解して下さるように、これからはもっと応援をして行かなければならないのかなという気が致しました。やはりそこには自分の世界に閉じこもっていてはいけないのであって、自分のまわりの世界といかに関係を持っていくか。そしてアメリカの場合合衆国ですから、人々の多様性が当然あります。そういう中でやはり自分と他人とを仲良く関係付けていく方法を長い時間をかけても探していきたいと思います。
本来宗教は争いをするはずがないのですが、宗教に名を借りた争いは昔からございます。そういう所になるべく宗教が引っ張り込まれないように注意していかないと行けないのですが、非常にその辺が難しいところです。
法華経という教えは、平たく言うと自分一人ではなく皆で幸せになりましょう。という事が一番基本にある教えです。
今日皆さんでお唱えした観音経も、我々は観音様に手を合わせ、観音様におすがりし、観音様にお願いしていくわけなのですが、それは自分1人がお願いしているわけではく、たくさんの皆さんが一緒にお願いしています。それを観音様は分け隔てなく受け入れて下さっています。ここに法華経の精神が現れているのではないかなと思います。
今回アメリカに行って法華経というお経の持つ精神と力の素晴らしさを改めて感じる事が出来ました。

以上で6月の月例祭りの法要を終わりにさせて頂きます。