9月の法話
『すぐそこにある極楽』

先ほどまで天気がよかったので、真っ青な空の中に純白な観音様がそびえ立っておられる様子が見られました。この大きな観音様を見上げますと、この観音様を建立されました今は亡き渡辺様のお心が良く伝わって参ります。
敬老観音様を建立されたのは、ここにお集りになる皆様の心の拠り所として、また若い方達に敬老の精神を普及するという願いのもとでございます。建立されてから32年が経ちますが、この間日本では色々な出来事が起きました。
そして、今も日本は大事な所にさしかかっているのではないかと思います。グローバルという世界規模において、我々日本人が世界の人々にどのように貢献していけるか? これを考えるにあたり、仏様の教えである“生きとし生ける者は全て平等”という考えが大切になります。
この平等という言葉は口で言うのは簡単ですが、これを実践するとなると非常に難しいものがございます。この前も、東京オリンピック開催が決まりましたが、このオリンピック競技を見ている我々も、やはり日本が登場すると日本を応援して、相手の国は負けて欲しいと思ってしまいます。これは身贔屓(みびいき)です。この身贔屓というのは平等には当てはまりません。やはり両方に勝ってもらいたいという気持ちで応援していきたいものであります。
まあ、そうは言いましても理屈通りには参りません。そこでですね、今日は秋の大祭という事で皆様と一緒に観音経をあげさせて頂きましたが、その前にさせて頂いた法要について少しお話したいと思います。
その法要の中に、五念門(ごねんもん)というものが出てきますが、これは心を5つの門に集中させるというものでございます。
では、この5つの門というのは何かといいますと、礼拝門(らいはいもん)、讃嘆門(さんだんもん)、作願門(さがんもん)、観察門(かんさつもん)、回向門(えこうもん)という門から出来ております。ここでの『門』というのは『やり方』と考えてください。5つのやり方で仏様を念ずる。ここでの仏様は阿弥陀様です。
まず一つ目の礼拝門は、仏様を拝むというやり方。
二つ目の讃嘆門では、仏様のお力を褒めたたえるというやり方。
三つ目の作願門では、願いを成すというやり方。これが実は大事な部分でございまして、作願門の中に
●衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) - 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願
●煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん) - 煩悩は持っているが、すべて断つという誓願
●法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち) - 仏様の教えが広く行き渡るように尽力しますという誓願
●仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) - 仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願
という、これらは一般的に四弘誓願(しぐせいがん)と呼ばれている4つの誓いがございます。
続いて四つ目の観察門では、自分が一生懸命やってきた事を見返してみるというやり方。
五つ目の回向門では、その頑張った功徳を自分以外のあらゆる人のために回して上げましょうというやり方です。

 

この5つをする事によって、我々の前に仏様が現れます。そしてこの阿弥陀様の国は極楽のお浄土です。昔から極楽のお浄土は西にあると言われております。 西と申しましても地球上での方角ではなく、仏様の世界での東西南北になりますので、今この場所からの西とは異なってきますが、この極楽は我々の身近にもあるという事を一つ気がついてもらいたいと思います。
右にあるか、左にあるか。実は皆さんが例えばお風呂に入った時に、『あー気持ちがいい、極楽、極楽』と口にするように、そんな心が極楽そのものなのです。そういう気持ちで24時間いる事が出来れば、極楽のまっただ中にいるという事になるのです。しかし、先ほど申しましたように我々には煩悩というものがございまして、いつまでも気持ちがいいという事ばかりには参りません。
昔から『人生楽あれば苦あり』と言うように、苦があるから楽を楽しめるのであって、苦がない所では楽は楽しめません。最初から楽ばかり目指していると本当の楽しさは分からなくなっていきます。苦労して初めて楽しさが分かってくるのです。その苦労とは我々の人生です。この人生を一生懸命生きる、これが楽を楽しむ事につながる。つまりは極楽に繋がるという事になります。

 

以上で平成25年秋の大祭の法要を終わりにさせて頂きます。


ありがとうございました。