8月の法話
『普通こそめでたい』

敬老観音様のこの「敬老」という言葉ですが、祝日の敬老の日以外では日常あまり使う機会がなく、馴染みの薄い言葉になってしまったように感じます。
そこで、どうにかもっと分かりやすく、他に違う言い方など出来ないかと考えていたところ、ふと一休和尚の事を思い出しました。
和尚は「親死に、子死に、孫死に」という言葉を残したそうですが、これは要するに、順番通りに亡くなっていくのが一番めでたいという事のようです。
これを聞いて、やはり我々は順番に物事が進んで行くのが一番無難で幸せなのではないかと感じます。
この順番が違ってくると、子が親より先に死ぬ事になったり、孫は生まれた後親がいない事になったりと、とても辛い事が起こります。
赤ちゃんは生まれたばかりで1人で生きて行く事は勿論出来ません。親があってこそ赤ちゃんが育ちます。しかし、両親二人だけの力で子供を育てられるかというとそれも難しいです。
世の中の色々な応援も加わって初めて子を育てる事が出来ます。この世の中では、普通と思われる順番通りに事が進むのがとても大切で、それに感謝をするのも大事な事だと思います。
そうする事で、誰しも年を重ねていく中で必ず訪れる“老いる”という事、そしてそのお年寄りを敬うという意味である「敬老」という言葉を自然と受け入れられて、もっと馴染みのある言葉になっていくのではないでしょうか。

今日のように毎月皆様にお参りいただきまして、お経をお唱えし観音様と一つの心になる事が、いつも素晴らしい事だと感じております。
まだ残暑がきびしい折でございますが、来月は秋の大祭となります。またお元気な姿で皆様にお会い出来るのを楽しみしております。
以上で8月の法要を終わりにさせて頂きます。
ありがとうございました。