7月の法話
『お釈迦様が残してくれた事』

この間テレビで見たのですが、我々は暑い暑いと思うと余計に体温が上がるそうです。さらにそのテレビでは、風鈴の音や渓流のせせらぎの音を聞くと体温が下がるという事を実験で証明していました。不思議な事ですが、多分我々の精神作用の影響じゃないかと思います。有名な言葉で、武田信玄と親交のあった恵林寺の快川 紹喜(かいせん じょうき)和尚という方が、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言われました。これは心の持ち方次第で、例え火の熱さでもしのげるという教えです。
とは言っても、実際火は熱いと思いますが、
例えば焼けた火鉢を熱いと知りながら触った人と、熱いと知らずに触った人だと、後者の方が火傷の度合いが低くなるというような事が実際にあるようです。

この精神作用の流れで仏様のお話に移るのですが、毎月皆様とお唱えしております観音経と寿量品(じゅりょうほん)ですが、この二つは引っ括めて「妙法蓮華経」というお経の一部です。この妙法蓮華経、通称「南無妙法蓮華経」と言いますが、この中にお釈迦様とお弟子さんとのやり取りが出てきます。どのようなやり取りかと言いますと、お釈迦様は真実の教えはこうだと自分は分かった。だけれどもお弟子さん達を前にして皆には話さないと明言します。
そうすると、お弟子さん達は聞きたくてしょうがないので「お釈迦様、そんな事を言わずにお聞かせください」と頼むわけです。しかしお釈迦様は、「いやいや、お前達に話は出来ない」と断ります。というように、お釈迦様が三度断って、お弟子さん達は三度お願いをしました。
その結果、お釈迦様は「わかった、それではこれから本当の真実の教えを話そう」という事になっていきます。

さて、ここでお釈迦様が話した真実の教えとは、法華経の中の表現を使って言うと、「皆誰でも仏になれる」 という事でした。

 

ん…?今の我々の知識からしますと、これだけ聞いたのではなかなかピンとこないという方も多いのではないでしょうか。
ところがお釈迦様の当時の世の中というのは、誰でも仏様になれるという考えはなかったのです。例えば一所懸命修行した人だけが仏様になれるとか。そういうような事が基本的な考えでした。
その時代の中で「そんな事はない。修行をしようがしまいが誰でも仏様になれる」というお釈迦様の教えは、当時からすると大変な教えでした。

大変な教えだったと言いましても、既にお釈迦様の考えが一般的に広まった現代の我々には、そのように感じる事は難しいかと思います。
これが最初に申し上げた我々の精神作用によるものではないかと思います。ここでの作用とは、皆が言っている事はついつい当たり前だと思ってしまう、大衆の意見が一般的に正しいと理解してしまう事です。

しかし、本来は自分一人一人の気持ちのあり方がとても大切で、仏様もそのようにそれぞれの気持ちで理解して頂ければいいと思います。
さて、その仏様を理解するにはどうしたらいいか。それにはまず我々が仏様を求める事。これがまず第一歩になります。今日観音様の前で皆さんお経をお唱えしましたが、観音様に求める事はそれぞれ多少異なってくると思います。しかし、不幸を願う人はおりませんから、根本的な部分では幸せに人生が過ごせるようにという事に繋がってくるのではないでしょうか。
目には見えませんが、それが叶うように観音様は我々に力を与えてくださっています。読経の声を聞いていると、その観音様からもらった力が皆様に染み入っているなというのが分かります。
そのようにお経を読む事を繰り返していると、知らないうちに観音様の功徳やお力が皆さんの中に蓄積されていきます。すると自分では気がつかないですが、ある時ハッとその事に気がつく時があると思います。
その時期は、人によって異なりますが、明日気がつく人もいれば、10年後に気がつく人もいるでしょう。
でも、それは結果でしか過ぎず、その過程には皆さん等しく観音様のお力や読経の功徳が蓄積されていますので、どうかその事を忘れないでください。

以上で7月の法要を終わりにさせて頂きます。
ありがとうございました。