4月の法話
『お護摩の火』

お護摩の火をずっと見ていますと、炎の形が千変万化。
一度として同じ形はありません。

これは我々の人生も同じですね、今この一瞬一瞬が過ぎてしまえば同じ事はございません。極端に言うと一秒一秒顔の表情も変わり、全て変化していきます。

この変化を仏様の世界では、諸行無常という言葉で言い表します。さらに、現代風に言えば我々の体が衰えていくという事を言い換えますと、段々と酸化していくという事になります。

やはり生命には誕生と共に永遠という事はなく、太陽でさえ徐々に命を縮めている訳でございます。
ただ太陽に比べて人間の一生はあまりにも短い。でも、その短い一生が我々にとっては長く、その間人それぞれに色々な想いや気持ちを持ちながら何十年と過ごして来る事で『自分の気持ちは他人には分かってもらえない』という言い方をする事もあります。

でも実は、仏様は分かってくださっていますよ。

ただ、仏様は言葉を発しません。ですから、我々が問いかけても耳で聞こえる言葉となっては返ってきません。でも、仏様は言葉でなく表情やお姿で言葉の変わりに我々に応えてくださっています。

こちらにおられる敬老観音様も、じーっと見つめていたらあるいは嬉しい表情をされたり、困ったという表情をされたと感じる事があるかもしれません。 そんな時は、見る人の心を観音様が感じ取った時です。 そういう時に観音様の表情が変わって見えますよ。

今日は月例祭でお護摩の供養をさせて頂きました。これは観音様に対する供養の中で、いわゆる密教と言われる部分の非常に念の強い供養の一つになります。
そして、我々が色々な想いや願いの全てをお護摩の火の中に投じる事で、あの火は我々の至らない点や寂しさや悲しさや、さらには喜びでさえも全て燃やし尽くして、煙が高く登るように我々の想いを天まで運んで下さいます。そういうお護摩の火でございます。
従って、そろそろ煙と共に、仏様にも観音様にも皆さんの想いが伝わったと思います。今日は皆さん良くお参りして下さいましたと、喜ばれておられると思いますよ。

今日は無事お護摩の供養が出来まして、皆様の体の中にもお護摩による観音様の慈悲の力が染み渡っていったと思います。

来月は春の大祭がございますので、是非またお元気な姿で皆様にお会い出来る事を楽しみにしております。
以上で今日の法要を終わりにさせて頂きます。