10月月例祭の法話
加賀百万石、前田家--------------------------------------

 今日は外もさわやかなお天気のようでございます。
私も先々週からずっと外に出かけておりましたので、寺を留守にしておりました。
たまたま一昨日、富山県の高岡へ参りまして、お檀家さんと加賀百万石の前田利長公をお奉りしてある、『瑞龍寺』と言う曹洞宗のお寺へお参りに行ってきました。
前田利長とは加賀前田家の二代目でございます。
初代利家は織田信長の家臣として活躍し、その後豊臣秀吉の天下になり盟友として活躍し、徳川家康公の時には秀頼さんの後見役のようなことをしていました。
その後、家康公から謀反の疑いをかけられ、前田利家が亡くなってからすぐに利家公の奥さんの『お松の方』様が人質にされ、江戸に連れて行かれました。

 その後二代目の利長さんにも謀反の疑いが晴れず、前田家の危機を前に利長公が急に亡くなってしまいます。
そのお陰と言ったら何ですが、謀反の疑いを晴らすため、大阪冬の陣では徳川家の見方をして戦ったことにより、加賀百万石はそのまま前田家が保持できたのです。
徳川家が四百万石、四分の一が前田家、全国で八百万石だったので八分の一を前田家が保持していたことになります。

 前田家の三代目は、前田家が無事で居られたのは、本当に言ったかどうかは分かりませんが、『二代目の利長公が丁度良いときに亡くなってくれたから』と言う事で、利長公を盛大にお奉りしようと高岡の瑞龍寺を建てたのです。
大体前田家は加賀なので、金沢が中心と私たちは思いがちですが、備中も加賀百万石の一部です。
富山・尾張はつながっていて、前田家は尾張出身という事で富山を大切にしていたという事から高岡の地に瑞龍寺を建てたそうです。
ふつう他のお寺はほとんど正面に本尊様がお祀りしてあるのですが、瑞龍寺には前田利長公のお位牌がお祀りしてあります。
それも2メートルちょっとの日本一大きなお位牌だと住職さんが言っていました。 お位牌になんと書いて在るかと言うと、なんと(瑞龍院殿聖山英賢大居士神儀)がついているので不思議に思い説明されている人に聞いてみました。
すると、前田家にとって利長公は凄く大切な方という事と、立山連峰が霊峰という事から、その守護神になって欲しいと言う事で神儀と付けたらしいです。

 それと同じように徳川家でも家康公が亡くなって日光東照宮に東照大権現とお祀りし、それを真似た前田家がさすがに同じにするわけにはいかず神様になって欲しいと言うそうです。

 前回私がお話しました神様と仏様が一緒になっている神仏習合と言う日本の宗教の典型的な例だと思います。
神仏習合と言うのは明治維新に神仏分離令ができて、その時から神様と仏様を分離されるようになったのですが、やはり日本に538年に仏教が伝わって、明治維新までの1000年以上が神仏習合だったので、いきなり切り替えることは出来ず、今もそうだと思います。

 歴史の中に顧みる事が出来る旅になりました。
一つ皆さんも昔から1000年もの間、神様と仏様を一緒に拝んでいたことを覚えていてください。
そして神社仏閣などをお参りするときに何かの参考になるのではないかと思います。
これで10月の月例祭の法要を終りにさせていただきます。

 ありがとうございました。